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蔫録

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

蔫録』(えんろく)[注 1]は、蘭学者医者大槻玄沢が編纂した、たばこの研究書[1][2]。「蔫」は臭いのある草という意味である[1]

概要

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1809年文化6年)に玄沢の蘭学塾芝蘭堂私家版として出版された[1]。3冊の本で構成される[1][2]

その草稿には天明年間(1781年 - 1789年)末に成立した2冊本と、寛政年間(1789年 - 1801年)末に成立した3冊本の2種類がある[1][3]

内容は、喫煙文化の興りの考察、たばこの栽培法や名産地、葉たばこの加工、たばこの医学的用法と副作用、過度の摂取に対する処置、喫煙具、たばこ礼賛の詩歌、その他である[1]

版本に登場する喫煙具図の多くが寛政末の草稿から描かれている[4]オランダの喫煙具、前野良沢中川淳庵大黒屋光太夫・小市のパイプ水煙具水口煙管等、多くの喫煙具が解説されている[5]

和書、漢書、洋書の70余種の文献を参考に記述されていて、それらの参考文献には、日本の書物では新井白石の 『采覧異言』 や西川如見の『華夷通商考』 等が、蘭書ではドドネウスショメール等の著書がみられる[6]。たばこの薬効については否定的で、呼吸器系等に悪影響があると述べている[2]

1802年享和2年)、江戸幕府が撰した法令集の『類集撰要』 によれば、「たばこ自体は日常の品であるが、幕府でも用いないような品まで詳細に解説している」という理由で一度出版禁止されたという記録がある[1]

脚注

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注釈

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  1. ^ たばこと塩の博物館が所蔵する天明期の草稿では、「蔫録」の2文字目「録」が訂正された上に書かれているが、1か所の訂正漏れから当初の書名が『蔫志』であったことがわかる[1]。実際、1788年(天明8年)刊の『紅毛雑話』には「たばこのことは、玄沢が著した蔫志に詳しい」と記載されていることからも確認できる[1]

出典

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  1. ^ a b c d e f g h i 湯浅 2015, p. 1.
  2. ^ a b c “「タバコ」の功罪について(大槻盤水「篶録」を中心に)”. 日本医史学雑誌 (日本医史学会) 14 (1): 80-82. (1968年5月15日). https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/3359239. 
  3. ^ 徳富猪一郎 (1929). 読書と散歩. 民友社. pp. 187-190. https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1193210 
  4. ^ 湯浅 2015, p. 2.
  5. ^ 湯浅 2015, pp. 2–3.
  6. ^ 蔫録”. 京都外国語大学付属図書館/京都外国語短期大学付属図書館. 2019年9月9日閲覧。

参考文書

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外部リンク

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