蔵沢寺
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蔵沢寺 | |
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所在地 | 長野県駒ヶ根市中沢中割4815 |
位置 | 北緯35度42分59.03秒 東経137度59分41.52秒 / 北緯35.7163972度 東経137.9948667度座標: 北緯35度42分59.03秒 東経137度59分41.52秒 / 北緯35.7163972度 東経137.9948667度 |
山号 | 広善山 |
宗派 | 曹洞宗 |
本尊 | 毘盧遮那仏 |
正式名 | 広善山蔵沢寺 |
札所等 |
伊那七福神 伊那諏訪八十八霊場第65番札所 |
文化財 | 駒ケ根市有形文化財 |
法人番号 | 3100005009073 |
蔵沢寺(ぞうたくじ)は、長野県駒ヶ根市中沢にある曹洞宗の禅刹。山号を広善山と称する。本尊は毘盧遮那仏である。[1]伊那七福神寿老人、伊那諏訪八十八霊場第六十五番札所にもなっている。
歴史
[編集]室町時代の応永年間(1394~1427年)中沢の高見城主、倉沢但馬守重清が開基して、香華院と称し、延徳元年(1489年)蔵沢寺に改称と伝わる。[1]その後、倉沢氏は武田氏によりこの地を退去させられ、寺門は衰退する。慶長4年(1599年)愛知県津具村金竜寺の来円宗撮大和尚により中興開山される。
三門の造立は、寛政9年(1797年)で、木札が残る。寺伝によれば、九世が高遠番匠伊藤常八尉良長に、鐘楼門として造立させた。三門は三間一戸楼門で、屋根は入母屋造、桟瓦葺きである。変わっているのは、参道入口側ではなく、本堂側に軒唐破風がつけられている。また、二階の立ちが極めて高い点も特徴で、これは一段高い位置にある本堂から見て、立面が低く見えるのを防ぐ工夫と推察される。[2]二階内部天井には、梵鐘を吊るした金具の痕跡が残る。享保12年(1727年)に造られた梵鐘は太平洋戦争に供出された。その後、大正7年(1918年)瓦葺にした木札が残る。三門は平成23年(2011年)駒ヶ根市の有形文化財に指定された。境内に東禅庵薬師堂があり、平成12年(2000年)近くから現在地に移築された。
堂の天井には、田中亭山の筆による48枚の歴史上の人物、中国故事、伝承等の天井絵が残る。[3]亭山は天保9年(1838年)上田藩領で生誕、明治24年(1891年)頃より、駒ヶ根市中沢に妻子とすんでいた。明治43年(1910年)寺より亭山に依頼して天井絵を描く。
境内
[編集]- 本堂 - 古い庭木の奥に佇む。
- 三門 - 平成23年(2011年)駒ヶ根市の有形文化財に指定された。[2]
- 客殿、庫裡 - 本堂前の庭園の右側に位置する。
- 鐘楼 - 参道入口側よりみて、三門の右側に位置する。
- 仁王門 - 参道入口左右に石造の仁王像
- 東禅庵薬師堂 - 田中亭山の天井絵[3]
- 枝垂桜 - 樹齢約300年と伝わる。
- 井上井月の句碑 - 駒ケ根に日和定めて稲の花
画像
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本堂
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三門 参道入口側
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三門 本堂側
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老桜と三門
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客殿
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鐘楼
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仁王門
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仁王像 左
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仁王像 右
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東禅庵薬師堂
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参道入口石段
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井月 歌碑
所在地
[編集]- 駒ヶ根市中沢中割4815
交通
[編集]脚注
[編集]出典
[編集]- ^ a b 『駒ヶ根市誌 現代編 下巻』駒ヶ根市誌刊行、1974年、395-396頁。
- ^ a b 『駒ヶ根市の文化財』駒ヶ根市教育委員会、2012年、49頁。
- ^ a b 『中沢区誌』中沢区誌刊行委員会、2019年、452頁。
参考文献
[編集]- 『駒ヶ根市誌 現代編 下巻』駒ヶ根市誌編纂委員会 駒ヶ根市誌刊行会発行 昭和49年(1974年)
- 『駒ヶ根市の文化財』駒ヶ根市の文化財編集委員会 駒ヶ根市教育委員会発行 平成24年(2012年)
- 『中沢区誌』中沢区誌編集委員会 中沢区誌刊行委員会発行 平成31年(2019年)