蕭子罕
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蕭 子罕(しょう しかん、建元元年(479年)- 建武2年6月25日[1](495年8月1日))は、南朝斉の皇族。南海王。武帝蕭賾の十一男。字は雲華。
経歴
[編集]蕭賾と楽容華のあいだの子として生まれた。母の楽氏が病床に伏せったとき、子罕は昼夜祈祷して快癒を願ったため、その孝行ぶりで知られた。永明元年(483年)1月、南海王に封じられた。永明6年(488年)、北中郎将・南琅邪彭城二郡太守となった。南琅邪郡の郡治を金城から白下に移転すると、子罕は白下の城に駐屯した。永明10年(492年)1月、持節・都督南兗兗徐青冀五州諸軍事・征虜将軍・南兗州刺史となった。永明11年(493年)、蕭昭業が即位すると、子罕は後将軍に進んだ。隆昌元年(494年)、散騎常侍・右衛将軍に転じた。同年(建武元年)、護軍将軍に転じた。
建武2年6月壬戌(495年8月1日)、明帝の命により兄弟の西陽王蕭子明・邵陵王蕭子貞とともに殺害された。享年は17。
脚注
[編集]- ^ 『南斉書』巻6, 明帝紀 建武二年六月壬戌条による。