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蕭昭秀

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

蕭 昭秀(しょう しょうしゅう、永明元年(483年)- 永泰元年1月25日[1]498年3月3日))は、南朝斉皇族。巴陵王。文恵太子蕭長懋の三男。は懐尚。

経歴

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蕭長懋と陳氏のあいだの子として生まれた。永明年間、曲江公に封じられた。永明10年(492年)、寧朔将軍・済陽郡太守となった。永明11年(493年)、兄の蕭昭業が即位すると、臨海郡王に封じられた。隆昌元年(494年)1月、使持節・都督荊雍益寧梁南北秦七州諸軍事・西中郎将・荊州刺史に任じられた。同年(延興元年)8月、建康に召還されて車騎将軍の号を受け、京師の防衛にあたった。

建武2年(495年)9月、巴陵王に改封された。

永泰元年正月丁未(498年3月3日)、殺害された。享年は16。

脚注

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  1. ^ 『南斉書』巻6, 明帝紀 永泰元年正月丁未条による。

伝記資料

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