蕭昭粲
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蕭 昭粲(しょう しょうさん、永明9年(491年)- 永泰元年1月25日(498年3月3日))は、南朝斉の皇族。桂陽王。文恵太子蕭長懋の四男。
経歴
[編集]蕭長懋と褚氏のあいだの子として生まれた。永明11年(493年)、兄の蕭昭業が即位すると、昭粲は皇弟として永嘉郡王に封じられた。
隆昌元年(494年)正月、南徐州刺史に任じられた。同年(延興元年)8月、使持節・都督荊雍益寧梁南北秦七州諸軍事・西中郎将・荊州刺史として出向した。同年(建武元年)、右将軍・中書令に任じられた。
建武2年(495年)9月、桂陽王に改封された。建武4年(497年)、太常に転じた。
永泰元年正月丁未[1](498年3月3日)、殺害された。享年8。
脚注
[編集]- ^ 『南斉書』巻6, 明帝紀 永泰元年正月丁未条による。