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蕭薬師奴(しょう やくしど、生没年不詳)は、遼(契丹)の政治家。
蕭朮哲の甥にあたる。祗候郎君に補任された。太康年間、興聖宮使となり、同知殿前点検司事に累進した。寿昌3年(1097年)、右夷離畢に転じた。寿昌4年(1098年)、西夏の李乾順が北宋の攻撃を受けて救援を求めてきた。道宗は薬師奴を北宋への使者に立てて撤兵を求めると、北宋はこれを受け入れた。寿昌5年(1099年)、薬師奴は帰国すると南面林牙となり、知契丹行宮都部署事を兼ねた。
乾統初年、安東軍節度使として出向し、死去した。