薬師寺八幡宮
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(薬師寺郷鎮守八幡宮から転送)
薬師寺八幡宮 | |
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鳥居と拝殿 | |
所在地 | 栃木県下野市薬師寺1509 |
位置 | 北緯36度24分03.5秒 東経139度52分41.4秒 / 北緯36.400972度 東経139.878167度座標: 北緯36度24分03.5秒 東経139度52分41.4秒 / 北緯36.400972度 東経139.878167度 |
主祭神 |
誉田別命 玉依比売命 息長帯比売命 |
社格等 | 旧村社 |
別名 | 鎮守八幡宮 |
札所等 | 下野八社 |
例祭 | 11月2日 |
地図 |
薬師寺八幡宮(やくしじはちまんぐう)は、栃木県下野市薬師寺にある神社。旧社格は村社。神紋は「菊」。別称として「薬師寺郷鎮守八幡宮」とも。
祭神
[編集]歴史
[編集]下野薬師寺跡に隣接して鎮座する。下野薬師寺は古くより朝廷から重要視されていた寺であり、当社はその鎮守としての役割を担ったとされる。社伝によれば、貞観17年(875年)に清和天皇の勅定により京都・石清水八幡宮から勧請されたのが創祀という[1]。一説には、下野薬師寺の鎮守神として天平勝宝元年(749年)に大分・宇佐神宮から勧請されたのが創祀ともいう[1]。
天喜4年(1056年)には源頼義が前九年の役の進軍途上に当地で合戦となり、社殿は焼失したと伝えている[1]。頼義と子・義家は、その帰路で当社に寄り、鉄弓・鏑矢(社宝)を奉納し、ケヤキ(市天然記念物)を手植えしたという[1]。
江戸時代には、領主・佐竹義宣の援助で本殿・拝殿が再建された。
境内
[編集]本殿と拝殿は、寛文2年(1662年)に領主・佐竹義宣の援助で造営されたもので、栃木県の文化財に指定されている[1]。
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本殿(県指定文化財)
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拝殿(県指定文化財)
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神楽殿
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ケヤキ(市天然記念物)
源頼義の手植えと伝える。
摂末社
[編集]別宮
[編集]- 天狗山雷電神社
- 鎮座地:本社入り口(北緯36度23分59.81秒 東経139度52分41.47秒 / 北緯36.3999472度 東経139.8781861度)
- 祭神:賀茂別雷大神 - 賀茂別雷神社(上賀茂神社)からの勧請という。
- 祭日:4月27日・11月17日
- 古くより本社の入り口に鎮座すると伝える。
摂社
[編集]以下一社は境外摂社。
- 八坂神社
- 鎮座地:本社西方(北緯36度23分56.98秒 東経139度52分34.65秒 / 北緯36.3991611度 東経139.8762917度)
- 境内社:秋葉神社
末社
[編集]いずれも境内末社。
- 五条天満宮、祖霊社、千勝神社、猿田彦神社、金精様
祭事
[編集]- 新年祈願祭 (1月1日)
- 節分祈願祭 (2月3日)
- 祈年祭 (2月11日)
- 別宮天狗山雷電神社祭 (4月27日)
- 摂社八坂神社祇園祭(神輿渡御) (7月第2土曜-第3日曜)
- 茅の輪くぐり神事、千灯万灯祭 (7月31日)
- 例大祭 (11月2日)
- 太々神楽及びガラ撒き (11月3日)
- 新嘗祭 (11月24日)
- 古神札焼納祭 (12月31日)
文化財
[編集]栃木県指定文化財
[編集]下野市指定文化財
[編集]現地情報
[編集]所在地
交通アクセス
周辺