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藍原秀氏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
藍原秀氏
時代 戦国時代 - 安土桃山時代
生誕 不明
死没 天正17年(1589年
別名 泰理[1]
官位 大和守[1]
主君 本間高統
氏族 藍原氏
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藍原 秀氏(あいはら ひでうじ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将本間高統の家臣[1]佐渡国加茂郡吉井城[1]

経歴

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郡内で1,250石を領す[注釈 1][1]天正17年(1589年河原田城の戦いでは本間高統に仕え、渋谷真住らと共に戦うが、直江兼続勢の奇襲により討死した[1]

脚注

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注釈

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  1. ^ 吉井本郷、青木、船津、三瀬川、下横山、安養寺、横谷、上横山、潟端、立野、籠米、青龍寺、中島、畑屋、馬場、水渡田など

出典

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  1. ^ a b c d e f 阿部猛西村圭子編『戦国人名事典』新人物往来社(1990)