藤井勝之助
表示
藤井 勝之助(ふじい かつのすけ、1901年(明治34年)1月1日 - 1984年(昭和59年)12月13日)は、京都府出身の日本の実業家。得三郎商店(のちの株式会社龍角散)の婿[1]となり、2代没後に得三郎を襲名した。3代得三郎[2]。
来歴
[編集]京都府出身で、旧制青山学院高等部を卒業した後に、三井物産に入社。その後、藤井得三郎商店に入り、養女(先代の妻の姪)の婿となり、家督を継ぎ、3代目得三郎を襲名。康男の父。康男が日本初の臨床試薬会社ヤトロン(現在のLSIメディエンス)の社長となると、自分は会長となる。のちに得三郎を襲名し、3代目となる。業界のことにつくした[3]。
株式会社の3代目[3]。秋田の藤井玄淵から数えると、6代目である[4]。
エピソード
[編集]- 秋田で一番有名な民間薬といえば、龍角散。大曲で生まれました[5]。
- 本県では秋田藩士に藤井氏がある。常陸国那珂郡藤井郷発祥の佐竹氏族で、佐竹十代義篤の六男・義貫の子孫である。ほか京、大阪、関東からの入国諸家もあろう。大曲市の富商藤井家は常陸から佐竹を慕って久保田に入り、江戸中期に大曲に移ったとされ、竜角散を製造した医師・藤井玄渕がいる[6]。
遠縁
[編集]- 『プレジデントファミリー』2018年1月号(冬号)で社長の藤井隆太は、「うちや小林製薬さん、久光製薬さんといった同族経営の製薬メーカーは、一緒にビジネスをしたり、 系図をたどると遠縁にあったりと関係が深いです。」と発言している。
出典
[編集]- ^ "父から子、子から孫へ。脈々と続く創業の精神 - 日本FBMコンサルティング"
- ^ [財界、1979年より]
- ^ a b "KANDAアーカイブ:百年企業のれん三代記"
- ^ "龍角散のルーツ"株式会社龍角散
- ^ “秋田の薬草とくすりの物語 〜秋田県立博物館〜、2016.06.23”. 2021年9月21日閲覧。
- ^ [丸山浩一著・あきた名字と家紋のP330、331]より。竜角散、玄渕は原文のまま