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藤原並藤

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
藤原並藤
時代 平安時代初期
生誕 延暦11年(792年
死没 仁寿3年5月13日853年6月22日
官位 正五位下陰陽頭
主君 淳和天皇仁明天皇文徳天皇
氏族 藤原京家
父母 父:藤原石雄、母:中臣国珍の娘
豊並
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藤原 並藤(ふじわら の なみふじ)は、平安時代初期の貴族陰陽家藤原京家参議藤原浜成の曾孫。豊前介・藤原石雄の子。官位正五位下陰陽頭

経歴

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初め丹波権掾任官し、天長2年(825年陰陽助を経て、天長6年(829年従五位下叙爵。その後、天長7年(830年筑後守、天長9年(832年)陰陽頭、承和4年(837年和泉守、承和7年(840年)陰陽頭に還任、承和14年(847年)には加賀守を兼任するなど、淳和朝から仁明朝にかけて陰陽寮官人および地方官を務めた。仁明朝末の嘉祥3年(850年)には21年ぶりに昇進し従五位上に叙せられている。

仁寿3年(853年)5月13日に正五位下に昇叙されるが、同日卒去享年62。

人物

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陰陽道暦道に優れ、天文道にも通じていた。若くして才学に優れたが、年齢を重ねるに従い衰えていったという[1]

官歴

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六国史』による。

系譜

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尊卑分脈』による。

  • 父:藤原石雄[1][2]
  • 母:中臣国珍の娘
  • 妻:不詳

脚注

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  1. ^ a b 日本文徳天皇実録』仁寿3年5月13日条
  2. ^ 尊卑分脈』では、古雄または右雄とされている。

出典

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