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藤原憲輔

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

藤原 憲輔(ふじわら の のりすけ、生年不詳 - 承暦3年7月8日1079年8月7日))は、平安時代中期から後期にかけての貴族藤原北家勧修寺流美濃守藤原頼明の子。官位は正四位下備前守

経歴

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後朱雀朝初頭に蔵人式部丞を務め、長暦3年(1039年巡爵により従五位下に叙せられ、加賀守として受領に転じた。

その後、左衛門権佐として京官に復したとみられるが、康平年間(1058年1065年)初頭に備中守を務めると、備後守近江守備前守後冷泉朝後三条朝白河朝の三朝20年に亘って受領を歴任。後三条朝初頭の治暦4年(1068年)には正四位下への叙位を受けている。

承暦元年(1077年)ごろまで備前守を務めるが、まもなく出家備前入道と呼ばれた[1]。承暦3年(1079年)7月8日卒去

官歴

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系譜

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尊卑分脈』による。

脚注

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  1. ^ 『大記』承暦3年7月8日条
  2. ^ a b c d 『春記』
  3. ^ 『尊卑分脈』
  4. ^ 『石清水文書』5-398
  5. ^ 『定家朝臣記』
  6. ^ 『勧修寺旧記』
  7. ^ 『本朝世紀』
  8. ^ 『院号部類』
  9. ^ 『水左記』
  10. ^ 『大記』
  11. ^ 『左経記』長元4年正月11日条

参考文献

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  • 『尊卑分脈 第二篇』吉川弘文館、1987年
  • 宮崎康充編『国司補任 第四 第五』続群書類従完成会、1990年
  • 市川久編『蔵人補任』続群書類従完成会、1989年