藤原数守
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藤原 数守(ふじわら の かずもり、生没年不詳)は、平安時代初期から前期にかけての貴族。藤原北家、肥前守・藤原福当麻呂の子。官位は従五位上・但馬守。
経歴
[編集]文徳朝の斉衡2年(855年)従五位下に叙爵する。天安3年(859年)正月にいったん出雲守に任ぜられるが、早くも2月には右兵庫頭に遷ると、貞観3年(861年)宮内少輔と清和朝初期は京官を務める。
貞観9年(867年)島田善宗と官職を交替し、数守は若狭守として地方官に転じた。また、時期は不明ながら但馬守を務め、位階は従五位上に至った。
官歴
[編集]『六国史』による。
- 時期不詳:正六位上
- 斉衡2年(855年) 正月7日:従五位下
- 天安3年(859年) 正月13日:出雲守。2月13日:右兵庫頭
- 貞観3年(861年) 5月20日:宮内少輔
- 貞観9年(867年) 4月11日:若狭守
- 時期不詳:従五位上。但馬守[1]
系譜
[編集]『尊卑分脈』による。
- 父:藤原福当麻呂
- 母:不詳
- 妻:不詳
- 男子:藤原在淵
脚注
[編集]- ^ 『尊卑分脈』