藤原是憲
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時代 | 平安時代後期 |
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生誕 | 保延5年(1139年) |
死没 | 治承元年(1177年) |
改名 | 是憲→遊蓮房円照(法名) |
官位 | 従五位下、少納言[1] |
主君 | 二条天皇 |
氏族 | 藤原南家貞嗣流 |
父母 | 父:信西(藤原通憲)、母:高階重仲の娘 |
兄弟 | 俊憲、貞憲、静賢、澄憲、覚憲、憲曜、成範、勝賢、是憲、明遍、脩範、光憲、寛敏、行憲、憲俊、寛兼、憲慶、阿波内侍?、藤原隆季室、藤原長方室、藤原親信室、少将有房室、藤原家房室、源為国室 |
妻 | 藤原顕時の娘 |
藤原 是憲(ふじわら の これのり)は、平安時代後期の貴族、浄土宗の僧。藤原南家貞嗣流、少納言・信西(藤原通憲)の三男。官位は従五位下・少納言。
信濃守であったが、平治の乱で父・信西に連座して免職され佐渡島に流罪となる。後に21歳で出家し、遊蓮房円照と号して西山広谷に草庵を設けて善導を信奉した。
承安5年(1175年)に法然がやってくると後にその弟子となる[2]。妻の甥は法然の弟子信空である。