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藤原滋幹

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
藤原滋幹
時代 平安時代前期
生誕 不詳
死没 承平元年(931年
官位 従五位上左近衛少将
主君 醍醐天皇
氏族 藤原北家長良
父母 父:藤原国経
母:本院侍従(在原棟梁の娘)
兄弟 滋幹忠幹、世光、保命
亮明、正明、忠明、女子
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藤原 滋幹(ふじわら の しげもと)は、平安時代前期の貴族歌人[1]藤原北家大納言藤原国経の子。官位従五位上左近衛少将

経歴

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藤原国経の子とされる。『尊卑分脈』には国経の父である藤原長良の子という記載も存在するが[1]、長良は斉衡3年(856年)に没しておりやや年代が合わない。母は在原棟梁の娘で、本院侍従と称した女性である。生年については不明だが、今井源衛延喜初年(901年)頃と推定している[2]。このとき、国経が70歳前後、在原棟梁の娘は20歳前後だったと推測される[2]

延長6年(928年右近衛少将に任ぜられ、承平元年(931年)卒去[3]。最終官位は従五位上左近衛少将であった[1]

人物

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後撰和歌集』に2首の和歌作品が採録されている他、『大和物語』に女性との贈答歌が載せられている[1]

系譜

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注記のないものは『尊卑分脈』による。

  • 父:藤原国経
  • 母:本院侍従[1]在原棟梁の娘)
  • 生母不詳の子女
    • 男子:藤原亮明
    • 男子:藤原正明
    • 男子:藤原忠明
    • 女子:後撰和歌集歌人。「滋幹女」として入集。

脚注

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  1. ^ a b c d e 植村 1994, pp. 2106–2107.
  2. ^ a b 今井 1985, pp. 22–23.
  3. ^ 『勅撰作者部類』

出典

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  • 今井源衛「在原業平の弟と子供たち 守平・棟梁・清貫母のこと」『日本文学研究』第21号、梅光学院大学、1985年https://cir.nii.ac.jp/crid/10502828124180780802017年3月12日閲覧 
  • 植村真知子 著「藤原滋幹」、古代学協会; 古代学研究所 編『平安時代史事典』角川書店、1994年。ISBN 9784040317007 
  • 『尊卑分脈 第二篇』吉川弘文館、1987年

関連作品

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