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藤原生子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

藤原 生子(ふじわら の せいし/なりこ、長和3年8月17日1014年9月13日[1] - 治暦4年8月21日1068年9月20日))は、第69代後朱雀天皇の女御。関白藤原教通の長女で、母は藤原公任の娘。准三宮

生涯

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長暦3年11月21日(1039年12月9日)に後朱雀天皇のもとに入内。同年閏12月に女御となったが、寛徳2年(1045年)1月、後朱雀天皇は譲位し、生子は内裏を退出した。天喜元年(1055年)出家。後朱雀天皇との間に子はなかった。治暦4年(1068年)死去。宇治陵に葬られた。

逸話

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後朱雀天皇から生子の立后を打診された藤原頼通は、生子が執柄の娘でないことを理由に拒絶した。

長久2年(1041年)に「弘徽殿女御歌合」を主宰した。

参考文献

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  • 芳賀登 他 監修 『日本女性人名辞典』 日本図書センター、1998年、p. 914

脚注

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  1. ^ 小右記寛仁2年4月9日条