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藤原 盛子(ふじわら の せいし、生年不詳 - 天慶6年9月12日(943年10月13日))は、武蔵守藤原経邦(藤原南家)の娘。藤原師輔の妻。
師輔が延長元年(923年)に16歳で初めて叙任を受け、翌年に早くも盛子が嫡男藤原伊尹を生んでいる事から、この頃には既に結婚していたと考えられる。後に兼通・兼家・忠君・安子(村上天皇皇后、冷泉・円融両天皇の母)・登子(村上天皇後宮、のち尚侍)・怤子(冷泉天皇女御)を産むが、師輔が大納言の時に逝去した。
孫にあたる冷泉天皇即位の時に正一位が贈位された。