藤原章信
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藤原 章信(ふじわら の あきのぶ、生没年不詳)は、平安時代中期の貴族。藤原北家長良流、参議・藤原元名の孫。春宮亮・藤原知章の子。官位は正四位下・宮内卿。
経歴
[編集]後一条朝初頭に右衛門権佐を務めるが、寛仁4年(1020年)には左少弁と五位蔵人も兼帯し三事兼帯となる。同年右中弁に昇任されると、治安3年(1023年)従四位下、万寿元年(1024年)従四位上、万寿2年(1025年)権左中弁と後一条朝中期は弁官を務めながら順調に昇進した。またこの間、中宮亮として中宮・藤原威子にも仕えている。
長元2年(1029年)弁官を離れて伊予権守に任ぜられ、受領として現地に赴任すると、長久元年(1040年)但馬守、のち丹波守と、後一条朝後期から後冷泉朝にかけて地方官を務めた。
官歴
[編集]注記のないものは『弁官補任』による。
- 寛弘5年(1008年) 10月17日:見文章生[1]
- 時期不詳:蔵人所雑色
- 寛弘8年(1011年) 正月7日:六位蔵人[2]
- 長和元年(1012年) 4月8日:見右衛門尉[2]。
- 時期不詳:従五位上
- 長和5年(1016年) 正月16日:見右衛門権佐[2]
- 長和6年(1017年) 8月9日:兼春宮権大進(春宮・敦良親王)[3]
- 時期不詳:正五位下
- 寛仁4年(1020年) 正月30日:左少弁、権佐如元。2月5日:五位蔵人(三事兼帯)[4]。11月29日:右中弁
- 治安元年(1021年) 3月8日:兼内蔵権頭
- 治安2年(1022年) 4月2日:兼中宮亮(中宮・藤原威子)
- 治安3年(1023年) 2月12日:兼和泉守、停権佐。3月13日:従四位下(春日行幸行事)
- 万寿元年(1024年) 12月28日:従四位上(松尾平野行幸行事)
- 万寿2年(1025年) 正月29日:権左中弁
- 長元2年(1029年) 正月24日:伊予権守(受領)
- 長久元年(1040年) 正月25日:但馬守[5]
- 永承2年(1047年) 2月7日:見丹波守[6]
- 時期不詳:正四位下。宮内卿[7]
系譜
[編集]注記のないものは『尊卑分脈』による。