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藤原経臣

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

藤原 経臣(ふじわら の つねおみ、昌泰3年(900年) - 没年不詳)は、平安時代中期の貴族儒学者藤原北家魚名流大学頭・藤原佐高の子。官位は正五位下肥前守

経歴

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朱雀朝初頭に文章得業生の傍ら、承平2年(932年)2月に成明親王(のち村上天皇)の読書始の尚復を務める[1]。同年7月に方略試宣旨を受け(問答博士は式部丞・菅原在躬)、試験に及第して蔵人式部少丞に任官した。承平5年(935年)に行われた菊の宴には序を献じている[2]

その後、巡爵により従五位下能登守に叙任されると、丹後守(または丹波守)・肥前守朱雀朝中期から村上朝前期にかけて地方官を歴任。この間、天慶5年(942年)能登守の功課により従五位上に叙せられ、正五位下まで昇進している。

官歴

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系譜

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尊卑分脈』による。

  • 父:藤原佐高
  • 母:上毛野氏
  • 妻:藤原文令の娘
  • 妻:源致の娘

脚注

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  1. ^ 『日本紀略』承平2年2月22日条
  2. ^ 『西宮記』八 承平5年10月17日
  3. ^ 『貞信公記』
  4. ^ 『西宮記』3-110
  5. ^ 『本朝世紀』
  6. ^ 『宝篋院陀羅尼伝来記・題跋備考』

参考文献

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