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藤原菅雄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
藤原 菅雄
時代 平安時代初期 - 前期
生誕 不詳
死没 不詳
官位 正五位下民部大輔
主君 仁明天皇文徳天皇清和天皇
氏族 藤原式家
父母 父:藤原山人、母:菅野真道の娘
兄弟 菅雄、行雄、長常
伴氏の娘
佐世、有世
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藤原 菅雄(ふじわら の すがお)は、平安時代初期から前期にかけての貴族藤原式家中納言藤原種継の孫。刑部卿(一説に刑部大輔)[1]藤原山人の子。官位正五位下民部大輔

経歴

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仁明朝での蔵人を経て、承和11年(844年従五位下に叙せられ、翌承和12年(845年常陸介に任ぜられる。

嘉祥3年(850年)3月仁明天皇の崩御にあたり固関使として美濃国不破関に派遣され(この時は散位)、同年民部少輔次いで木工頭に任ぜられる。仁寿2年(852年近江介斉衡2年(855年)従五位上。

天安2年(858年文徳天皇の崩御に伴い、再び固関使となり今度は伊勢国鈴鹿関に派遣される(この時は散位)。清和朝では、天安3年(859年)民部少輔、貞観3年(861年)民部大輔、貞観5年(863年)に正五位下に叙任された。

藤原氏儒士の始祖とされる[1]

官歴

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注記のないものは『六国史』による。

系譜

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尊卑分脈』による。

脚注

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  1. ^ a b c 尊卑分脈

出典

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