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藤原道子 (女御)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

藤原 道子(ふじわらの みちこ、長久3年(1042年) - 長承元年8月17日1132年9月27日))は、平安時代女御承香殿女御と号す[1]

人物

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父は内大臣藤原能長、母は源済政の娘。延久元年(1069年)8月22日、東宮・貞仁親王(後の白河天皇)に入内し、白河天皇の即位に伴い、延久5年(1073年)7月23日に女御となった。承保2年(1075年)12月、准三后に叙される。承保4年(1077年)9月23日唯一の子である善子内親王を生む。寛治元年(1087年)善子内親王が斎宮になり、伊勢に同行した。嘉承2年(1107年7月19日堀河天皇譲位により、善子内親王は斎宮を退下する。同年12月30日京へ戻った。その後は善子内親王とともに六角東洞院邸で暮らした。長承元年(1132年8月17日薨去享年91。

脚注

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  1. ^ 中右記長承元年8月17日条

参考文献

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