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藤原麻起子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
藤原 麻起子 (吉田 麻起子)
Makiko Fujiwara
引退
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 岩手県東磐井郡千厩町
(現:一関市千厩町)
生年月日 (1983-11-06) 1983年11月6日(40歳)
身長・体重 165cm
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
選手経歴
国際大会
代表チーム  日本
世選/W杯 2010
アジア大会 2010

藤原 麻起子(ふじわら まきこ、1983年11月6日[1] - )は、岩手県東磐井郡千厩町出身の女子ソフトボール選手(投手[1][2]。引退後は吉田麻起子に姓を改めた[3]

経歴

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生い立ち

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1983年11月6日、岩手県東磐井郡千厩町(現:一関市千厩町)に生まれる[1][2]千厩町立千厩小学校(現:一関市立)に入学後、幼少期より姉のソフトボールの試合を観戦していたことを機に4年生からソフトボールクラブに入団した。練習の際は姉のプレーを意識していたという[4]

千厩町立千厩中学校(現:一関市立)に進学後はソフトボール部に所属し、1998年の全国中学校ソフトボール大会では優勝を果たした[4]

中学卒業後、埼玉県川越市星野女子高等学校(現:星野高等学校女子部)に進学した[4]

実業団選手として

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高校卒業後、当時日本リーグ1部に所属していた東邦銀行女子ソフトボール部に入団。しかし1年目でチームが廃部になり退団した。

2003年東北福祉大学へ入学。2005年全日本大学ソフトボール選手権大会では優勝、2006年世界大学ソフトボール選手権大会では3位に入賞した[4]

大学卒業後、2007年日立ソフトウェア(現:日立サンディーバ)へ入団。2009年には日本リーグの最多勝利投手賞を獲得した[1]。2010年には第12回世界女子ソフトボール選手権へ出場し、銀メダルを獲得した[3]

2011年のシーズンをもって日立ソフトウェアを退団し、実業団選手生活に幕を閉じた[1]

引退後

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2012年度より地元の岩手県立千厩高等学校に教員として着任。同校女子ソフトボール部の顧問として指導に当たっていたが[2]、のちに他校へ異動となった[5]

人物・エピソード

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2010年8月9日、地元である一関市より、輝かしい功績を収めた人物に贈られる市民栄誉賞の第1号として受賞した[4][6]

詳細情報

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日本リーグ個人表彰

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  • 2009年 - 最多勝利投手賞(15勝7敗)[1]

背番号

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  • 14(2007 - 2011)

脚注

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注釈

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  1. ^ 同年廃部。

出典

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  1. ^ a b c d e f 過去の選手とスタッフ - 投手 藤原 麻起子(ふじわら まきこ)”. Hitachi, Ltd. 2022年11月15日閲覧。
  2. ^ a b c 【特集】一関の誇り ソフトボール王国の挑戦 5”. 一関市ホームページ. 一関市 (2012年8月27日). 2022年11月15日閲覧。
  3. ^ a b 技術向上へ基礎から オリンピアンが指導 トヨタソフトボール教室【一関】」『岩手日日』2023年8月18日。オリジナルの2023年8月24日時点におけるアーカイブ。2023年12月6日閲覧。
  4. ^ a b c d e 藤原麻起子さん(千厩出身)に市民栄誉賞”. 一関市ホームページ. 一関市. 2022年11月15日閲覧。
  5. ^ 「自分らしさ」尊重 水沢農高が服装自由化 胆江地区の全日制で初」『胆江日日新聞』2023年4月14日。2023年5月17日閲覧。
  6. ^ 「藤原投手に市民栄誉賞 一関市で初」『岩手日日』2010年8月3日。
  7. ^ 藤原麻起子 JSL

関連項目

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外部リンク

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