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藤吉晙

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

藤吉 晙(ふじよし あきら、1883年明治16年〉5月2日[1] - 1970年昭和45年〉3月31日)は、日本海軍軍人海兵31期海大甲種14期。最終階級は海軍中将福岡県出身。

略歴

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1900年、福岡県中学修猷館卒業[2]1903年12月14日、海軍兵学校第31期卒業[3] 卒業時成績順位は188名中第29位。1905年5月27日及び翌28日の日露戦争日本海海戦一等巡洋艦浅間に乗組員として参戦する。1916年11月28日、海軍大学校甲種14期卒業[3]。同期に山本五十六

1917年8月16日、砲艦「鳥羽」艦長[3]。1919年8月26日、軍令部参謀[3]。1921年12月10日、陸軍大学校兵学教官[3]

1923年12月1日、大佐に昇格、防護巡洋艦「対馬」艦長[3]。1924年5月7日、海軍大学校教官[3]。1926年12月1日、装甲巡洋艦「浅間」艦長[3]。1927年12月28日、軍令部出仕[3]

1928年12月10日、少将昇格、佐世保鎮守府参謀長[3]。1930年12月1日、第1潜水戦隊司令官[3]。1931年12月1日、第1戦隊司令官[3]。1932年11月15日、軍令部出仕[3]

1933年11月15日、中将昇格[3]。同年12月11日、待命[3]。同月15日、予備役編入[3]

1947年11月28日、公職追放仮指定を受ける[4]

脚注

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  1. ^ 福川秀樹『日本海軍将官辞典』芙蓉書房出版、2000年 329頁
  2. ^ 『修猷館同窓会名簿 修猷館235年記念』同窓会員3頁
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 『陸海軍将官人事総覧』(芙蓉書房出版、1993年)107頁
  4. ^ 総理庁官房監査課 編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、7頁。NDLJP:1276156