藤堂良清
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藤堂 良政(とうどう よしまさ、1559年 - 1600年)は、安土桃山時代の武将。若江八人衆の一人。藤堂高虎の従兄弟にあたる。別名は嘉清(よしきよ)。
略歴
[編集]永禄2年(1559年)、藤堂嘉房の子として生まれる。
初め織田信長や羽柴秀吉(豊臣秀吉)に仕え、天正18年(1590年)から秀吉の甥・秀次に仕え三河国西部に2300石の知行を与えられた。文禄3年(1594年)には伏見城の石垣普請で功績を挙げた。
文禄4年(1595年)に秀次事件で豊臣秀次が切腹すると、秀吉の命令で従兄弟高虎の許に身柄を預けられ、そのまま罪を許されて高虎の家臣となった。
慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは藤堂隊に従って本戦では石田三成と戦ったが、島清興の長男・信勝(あるいは四男・清正)に討ち取られた。墓所は伊賀市大超寺。