藤山平右衛門
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藤山 平右衛門(ふじやま へいえもん、生年不明 - 延宝3年3月12日(1676年4月24日))は、肥前国佐嘉郡(現:佐賀県佐賀市)出身の佐賀藩士。諱は貞忠(さだただ)、仮名は平右衛門。
来歴
[編集]肥前国佐嘉郡(現:佐賀県佐賀市)の佐賀藩士として生まれる。出生年月日は不明だが、佐賀藩藩士 鍋島弥平左衛門親族帳によれば、藤山平右衛門が初代当主であり、其先不相知候の記述がある。藤山氏の出自については諸説あり、判然としないが、伊万里の藤山家、豊後の藤山家など、九州地方を中心に複数の系譜がある。佐賀の藤山家は、佐賀藩制における手明鑓や足軽などの組頭、また長崎聞番などの西国警衛の役を担う中級士族[1]であり、幕末期の弘化二巳年佐賀藩總着到(侍着到)[2]に記載がある藤山姓の士族は、約100名余り[3]にのぼる。
通字
[編集]主たる通字は「貞」(さだ)。その他「武」(たけ)、「尭」(ぎょう)などを、通字として用いていた。江戸時代後期以降は、通字を含む仮名のみを称していた。1872年(明治5年)5月7日の太政官布告「従来通称名乗両様相用来候輩自今一名タルヘキ事」により、諱と通称を併称することが公式に廃止されている。
系譜
[編集]其先不相知 ― 藤山貞忠(平右衛門) ― 藤山貞豊(次郎左衛門) ― 藤山貞暁(次郎左衛門) ― 藤山武貞(尉右衛門) ― 藤山貞刻(嘉右衛門) ― 藤山貞幹(次郎左衛門) ― 藤山武尭(嘉右衛門)