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藤島勇一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

藤島 勇一(ふじしま ゆういち、1933年5月5日[1] - 2002年9月24日[2])は、福岡県出身のラグビーユニオン選手・指導者。主なポジションはセンター(CTB)およびフルバック(FB)[3]

来歴

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福岡市出身[1]。1946年福岡県中学修猷館に入学し、ラグビー部選手として、国体全国高等学校ラグビーフットボール大会に出場[1]1952年福岡県立修猷館高等学校を卒業[4]し、1953年早稲田大学第一商学部に入学[3]ラグビー部に入部し、1年生からウイング(WTB)として試合に出場[1]、1956年に主将を務めている(ポジションはセンター(CTB)およびフルバック(FB))[5]

1967年度シーズンに早稲田大学の監督を務め、猿田武夫を主将に据え、第4回全国大学ラグビーフットボール選手権大会で準優勝をもたらした[6]

退任後は共同通信社に入社し、福岡支社次長などを務めた。高校、大学の後輩であるスポーツライター松瀬学は、藤島の勧めにより共同通信社に入社している[4]

長男はスポーツライターの藤島大

著書

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脚注

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  1. ^ a b c d 藤島勇一『写真でみるラグビー』(成美堂出版、1977年)
  2. ^ 四国新聞社 訃報:藤島勇一氏死去/元早大ラグビー部監督(2022/5/7参照)
  3. ^ a b 早稲田大学ラグビー蹴球部 藤島勇一プロフィール
  4. ^ a b 東京修猷会 第538回二木会(2007年4月12日(木))
  5. ^ 早稲田大学ラグビー蹴球部 昭和31年(1956)資料
  6. ^ 早稲田大学ラグビー蹴球部 昭和42年(1967)資料