藤平純三
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藤平 純三(ふじひら じゅんぞう[1]、旧姓・丹羽、1871年8月17日(明治4年7月3日)[2] - 没年不明)は、日本の銀行家。村井銀行常務取締役[3][4]。族籍は東京府士族[2][4]。
人物
[編集]旧名古屋藩士・丹羽與三郎の四男であり、退役海軍少将・丹羽教忠の弟、大井田瑞足の兄である[3][4]。1901年、先代いしの入夫となり家督を相続した[2][3][4]。藤平家は其の祖遠く日蓮上人の末弟貫名藤平重友に出た[3][4]。
1899年、東京帝国大学法科大学法律学科(英法)を卒業[3][5]。横浜正金銀行に入り、同行桑港支店支配人、羅府分店支配人となり、長崎支店支配人となる[4]。1918年、村井吉兵衛の懇望により村井銀行に転じ取締役兼総支配人に挙げられ、のち常務取締役となり調査部長を兼任[3][4]。
家族・親族
[編集]- 丹羽家(実家)
- 父・丹羽与三郎 - 尾張藩士・鎌倉鶴岡八幡宮宮司
- 兄・丹羽教忠 - 海軍少将
- 弟・大井田瑞足 - 大井田義忠の養子。鉄道技師兼内務技師、監督局技術課長。長男・大井田忠義の岳父に寺野寛二。長女・尚子の夫に絵本出版で知られる金井信生堂の金井英一。[6][7][8][9]
- 妹・山屋貞子 - 山屋他人の妻。曾孫に皇后雅子。
- 親戚
脚注
[編集]- ^ 日本研究のための歴史情報『人事興信録』データベース名古屋大学大学院法学研究科。
- ^ a b c d e 『人事興信録 第5版』ふ30頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年1月10日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j 『人事興信録 第8版』フ77頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年1月6日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i 『人事興信録 第7版』ふ35頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年1月6日閲覧。
- ^ 『東京帝国大学一覧 明治42-43年』学士及卒業生姓名 法学士 法律学科117 - 118頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年7月29日閲覧。
- ^ 大井田瑞足『人事興信録』第8版 [昭和3(1928)年7月]
- ^ 金井 英一コトバンク
- ^ 金井 英一歴史が眠る多磨霊園
- ^ 『人事興信録. 第12版下』寺野寛二の項
参考文献
[編集]- 『東京帝国大学一覧 明治42-43年』東京帝国大学、1886 - 1912年。
- 人事興信所編『人事興信録 第5版』人事興信所、1918年。
- 人事興信所編『人事興信録 第7版』人事興信所、1925年。
- 人事興信所編『人事興信録 第8版』人事興信所、1928年。