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藤村益治郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

藤村 益治郎(ふじむら ますじろう、1903年 - 1996年)は、岩手県出身の庭師

1932年昭和7年9月2日盛岡地方裁判所が火災に遭った際には、裁判所の前に所在する天然記念物石割桜を父の藤村治太郎と共に火の粉払いをして守った[1]。石割桜は全焼を免れ、翌春には再び花を咲かせた。以降、益治郎は治太郎と共に石割桜の手入れを無料奉仕として行うようになり、現在も益治郎の子孫が経営する造園会社「豊香園」が手入れを続けている[1]

また、盛岡山車推進会の初代会長を務め、1972年度には盛岡市から市勢振興功労者として表彰されている[2]。盛岡山車のさ組は、この努力を忘れず、益治郎の人形を1996年(平成8年)の山車の見返しに上げた[3]

生涯

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参考文献

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  • 石割桜の磐梯の花に浮かぶ植木屋 益治郎(引用『平成8年 盛岡山車さ組番付音頭』)[要文献特定詳細情報]
  • 藤村益治郎さんを偲ぶ会 編『盛岡の男衆藤村益治郎 : 桜守り』熊谷印刷出版部、1998年4月。ISBN 4877202242 

脚注

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  1. ^ a b 「奉仕を続けていれば天は何かを与えてくれる」(藤村治太郎)【漱石と明治人のことば278】 サライ、2017年10月5日
  2. ^ 市勢振興功労者 盛岡市、2023年12月23日閲覧。
  3. ^ 盛岡の山車 南部流風流山車(盛岡流の人形山車)全事例、2023年12月23日閲覧。