藤森静雄
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藤森 静雄(ふじもり しずお、1891年8月1日 - 1943年5月28日)は、日本の版画家[1]。
人物
[編集]福岡県久留米市生まれ[2]。白馬会原町洋画研究所に入り、東京美術学校予備科西洋画科志望に入学後、1914年に田中恭吉や恩地孝四郎とともに版画誌『月映』を刊行した。東京美術学校をその2年後に卒業し、福岡で中学校の教師を務めた[3]。1922年に『詩と版画』の同人となり、1937年から日本版画協会の常任理事・事務を担当した。
作品
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『月映』より『VI 映心』1915年
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『月映』より『I 自然と人生』1914年
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『月映』より『VII 太陽』1915年
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『月映』より『I あゆめるもの』1914年
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『月映』より『III 水平線』1914年
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『新東京百景』より『夜の歌舞伎座』1930年
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『新東京百景』より『初夏の赤門』1929年
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『新日本百景』より『靖国神社』1931年
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『新日本百景』より『上野駅』