藤江崹一
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藤江 崹一(ふじえ ていいち、1889年(明治22年)2月12日[1][2] - 没年不明)は、昭和時代前期の朝鮮総督府官僚。馬山府尹。
経歴
[編集]静岡県磐田郡見付町(磐田町を経て現磐田市)出身[1]。1916年(大正5年)法政大学法科を卒業し税務所属となる[1]。ついで大蔵省属、大阪府属を経て、朝鮮総督府属となり、1929年(昭和4年)12月、平安南道大同郡守に就任する[1]。1934年(昭和9年)6月、京城府学務課長に転じ、1936年(昭和11年)7月30日、馬山府尹となった[1]。1942年(昭和17年)10月、退官し、大日本婦人会朝鮮本部総務部長兼厚生部長に就任した[2]。
脚注
[編集]- ^ a b c d e 帝国自治協会 1938, 88頁.
- ^ a b 帝国秘密探偵社 1943, 朝鮮89頁.
参考文献
[編集]- 帝国自治協会『全国市長銘鑑 : 自治制実施五十周年記念』帝国自治協会、1938年 。
- 帝国秘密探偵社 編『大衆人事録 第14版 外地・満支・海外篇』帝国秘密探偵社、1943年 。