藤間勘章
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ふじま かんしょう 藤間勘章 | |
生年月日 | 1916年1月5日 |
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没年月日 | 1998年3月17日(82歳没) |
本名 | 加藤辰夫 |
出身地 | 旧満州 |
子 | 藤間式部(養女) |
当たり役 | |
三世清元梅吉作曲 清元「双面」 「藤乃顔見世」」 長唄「楠公」 三世清元梅吉作曲 清元「瓢箪」ほか | |
藤間 勘章(ふじま かんしょう、本名:加藤辰夫、1916年1月5日 - 1998年3月17日)は愛知県名古屋市を中心に活動した、日本舞踊藤間勘右衛門派藤間流の日本舞踊家。旧満州出身。
経歴
[編集]4歳から日本舞踊を始める。1946年に旧満州から引き揚げる。1950年頃、名古屋市に居をうつす。名古屋で中京藤間一門会(勘右衛門派)を創設。1989年には初の立役に挑戦して成功、芸域を広げた。1998年2月1日、入院先から名古屋市で開催された門弟の会に駆けつけ、「山姥」を踊ったのが最後の舞台となった。
長く、中京藤間会会長として、亡くなるまで、中京地区の藤間流をまとめていた。主催の会「中京藤間をどり」(会場は御園座から中日劇場)では、毎回、創作舞踊を上演。「踊りの魔術師」「勘章マジック」と言われた。古典でも新演出をして、注目を集め、女形を中心に取り組む。中京五流舞踊公演は、第1回から亡くなる前年の1997年まで連続出演。
主な作品
[編集]- 吉野山→佐藤忠信を女忠信で上演
- 保名→「女保名」という外題で上演。芸者の扮装をしている。
- 法界坊(双面)→通常は常磐津の曲を、清元梅吉[要曖昧さ回避]作曲のものを上演。
- 月[要曖昧さ回避] 清元榮壽郎作曲の作品をアレンジ。
- 素踊りを群舞による振付に再構成した。他多数
受賞
[編集]平成2年度名古屋市芸術賞芸術特賞(1991年)
家族
[編集]- 長女(養子):藤間式部(日本舞踊家)
参考資料
[編集]- 中日新聞
- 中京五流舞踊公演パンフレット