蘇我善徳
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時代 | 飛鳥時代 |
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生誕 | 585?/586? |
死没 | 不明 |
主君 | 推古天皇 |
氏族 | 蘇我氏 |
父母 | 父:蘇我馬子 |
兄弟 |
河上娘、善徳、蝦夷、刀自古郎女、 法提郎女、川堀、倉麻呂 |
蘇我 善徳(そが の ぜんとこ)は、飛鳥時代の豪族。蘇我馬子の長男。飛鳥寺(法興寺)の初代寺司(てらのつかさ、司長)。
経歴
[編集]『日本書紀』巻第22には「推古四年冬十一月 法興寺造竟 則以大臣男善徳臣拝寺司 是日恵慈 恵聡二僧 始住於法興寺(冬十一月、法興寺 造り竟(おは)りぬ。則(すなは)ち大臣の男 善徳臣を以て寺司に拝す。是の日に、恵慈 、恵聡、二の僧、始めて法興寺に住り。)」とある。
『日本書紀』巻第22,推古天皇18年(610年)の記事に現れる蘇我蝦夷の年齢は、『扶桑略記』の記述によると25歳となり、推古天皇4年(596年)における蝦夷の年齢は11歳となることから、善徳が蝦夷の兄と推定されている[1]。