蘇歩青
蘇 歩青(ソ・ホセイ、1902年9月23日 - 2003年3月17日)は、中国の数学者。復旦大学名誉学長。中国数学会名誉理事長。元中国科学院院士。
人物・経歴
[編集]浙江省温州市平陽の山間部の農家に生まれる[1]。浙江省立第十中学校(のちの浙江省温州中学)に首席で合格して学費全額免除を得て卒業後、1919年から日本に留学した[2]。
1920年に兄が通っていた東京高等工業学校(のちの東京科学大学)電気科に進学[2]。在学中関東大震災で被災したものの生き残り、1924年に卒業し[1]、東北帝国大学理学部数学科に進学した[1][3]。
仙台では止宿先が同じ家だった茅誠司(のちに東京大学総長)と親しくなり、第二次世界大戦後も交友が続いた[4][1][3]。1927年に東北帝国大学理学部数学科を卒業し、東北帝国大学附属臨時教員養成所講師に着任[1][3]。
1929年松本米子と結婚[1][3]。同年外務省の対支文化事業の特選留学生に選定され[5]、1931年には東北帝国大学への外国人留学生としては陳建功に続く2人目となる理学博士の学位を取得した[3][1][6]。同年より陳の招聘で浙江大学数学科教授を務め、多くの数学者を養成して陳蘇学派と称された[1][7][8][9]。
院系調整により、1952年に浙江大学数学科が復旦大学と統合されたため、復旦大学教授に就任。1953年復旦大学教務長[1]。1956年復旦大学副学長。1958年復旦大学数学研究所所長[1][10]。文化大革命で1972年に上海の造船所に下放され、革命終了後、1978年から復旦大学学長を務めた[1][10]。
中国人民政治協商会議副主席、上海市議会副議長、上海市科学技術協会会長なども兼務し[3][11]、1983年復旦大学名誉学長[1]。1993年勲二等瑞宝章受章[3]。中国科学院院士、中国数学会名誉理事長といった名誉職も務めたが[3]、2003年に華東病院で死去した[10]。
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h i j k l 【21-15】【近代編10】蘇歩青~日本との関係が深い中国の「数学王」科学技術振興機構
- ^ a b 横井, 和彦 高, 明珠民国初期における帰国留学生のパフォーマンスからみた留学生政策の効果(上) : 中国科学社と中華学芸社の比較を中心として經濟學論叢 en : Keizaigaku-Ronso (The Doshisha University economic review)
- ^ a b c d e f g h 蘇 歩青 教授について東北大学
- ^ 茅 誠司先生China Radio International.
- ^ 「特選留学生」学費補給制度(1924-1940 年)に関する研究早稲田大学
- ^ The relation between affine and projective differential geometry 擬似及射影微分幾何學の関係に就て 蘇, 歩青 スー, ブーチエン
- ^ 東北大学百年史編纂室ニュース
- ^ 中国・韓国の数学の発展に尽くした卒業生 留学生 陳 建功氏について 東北大学名誉教授 猪狩 惺東北大学大学院理学研究科数学専攻
- ^ 陳建功-中国現代数学の源流東北大学大学院理学研究科数学専攻
- ^ a b c 蘇歩青氏死去/中国・元復旦大学学長四国新聞2003/03/17 21:36
- ^ 蘇 先生の近況東北大学理学部同窓会誌