蘇沙羅
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蘇 沙羅(そ しゃら、生没年不詳)は、中国の隋の軍人。字は子粋。本貫は扶風郡。
経歴
[編集]北周の眉州刺史の蘇順(蘇孝慈の兄)の子として生まれた。北周に仕えて、都督を初任とした。大象2年(580年)、韋孝寛の下で尉遅迥を討ち、功績により開府儀同三司の位を受けて、通秦県公に封じられた。隋の開皇元年(581年)、蜀王楊秀が益州に下向すると、沙羅は本官のまま従い、資州刺史に任じられた。開皇8年(588年)、冉駹羌が隋に反抗して汶山・金川の2鎮を攻撃すると、沙羅は兵を率いて反乱軍を撃破し、邛州刺史に任じられた。数年後、検校利州総管事をつとめた。開皇17年(597年)、史万歳の下で西爨を攻撃し、連戦して功績を挙げ、位は大将軍に進んだ。まもなく検校益州総管長史となった。開皇20年(600年)、越巂郡の王奉が隋に反抗して挙兵すると、沙羅は段文振の下で反乱軍を討った。仁寿2年(602年)、蜀王楊秀が廃位されると、沙羅も連座して庶民に落とされた。後に私邸で死去した。
子に蘇康があった。