蘇錫文
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蘇錫文 | |
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プロフィール | |
出生: | 1892年(清光緒18年) |
死去: |
1945年(民国34年) 中華民国 |
出身地: | 清福建省延平府竜渓県 |
職業: | 政治家・実業家 |
各種表記 | |
繁体字: | 蘇錫文 |
簡体字: | 苏锡文 |
拼音: | Sū Xīwén |
ラテン字: | Su Hsi-wen |
和名表記: | そ しゃくぶん |
発音転記: | スー シーウェン |
蘇 錫文(そ しゃくぶん)は、中華民国の政治家・実業家。中華民国維新政府、南京国民政府(汪兆銘政権)の要人。
事跡
[編集]日本に留学し、早稲田大学政治経済科を卒業した。帰国後は、南洋や華北で商業に従事している。その後政界に入り、福建省政府財政局長、広東大元帥府財政署長兼民政司長、上海持志大学教授などを歴任した。後に台湾に赴任している。
1937年(民国26年)12月、日本の指示により、上海大道市市長に就任した。翌年3月に中華民国維新政府が成立すると、その翌月に蘇錫文は上海市政公署暫行督弁(市長に相当)に任ぜられる。10月、傅筱庵が新たに上海市長に任命されると、蘇は上海市政府秘書長兼中央市場場長に異動した[1]。
1940年(民国29年)10月、傅が暗殺されると、翌月に陳公博が着任するまで蘇が暫時市長を代行した。陳の就任とともに蘇は秘書長を辞任する。以後、中華輪船股份有限公司董事長、航業財産整理委員会主任委員などをつとめた。
1945年、死去。享年54。
注
[編集]- ^ 徐友春主編『民国人物大辞典 増訂版』によれば、蘇は教育局長も兼任した、としているが、劉寿林ほか『民国職官年表』1135頁は、陳修夫が教育局長に就任した、としている。
参考文献
[編集]- 徐友春主編『民国人物大辞典 増訂版』河北人民出版社、2007年。ISBN 978-7-202-03014-1。
- 劉寿林ほか編『民国職官年表』中華書局、1995年。ISBN 7-101-01320-1。
中華民国維新政府
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