蛇の女王エグレ
蛇の女王エグレ[注 1](へびのじょおうエグレ、リトアニア語: Eglė žalčių karalienė)はリトアニアの伝承である。
物語の概要
[編集]海底に住まう鍛冶族の王である蛇がいた。ある時、人間の娘たちが水浴をしているのを見かけると、蛇王はその一人のエグレという娘に惚れてしまい、脱ぎ捨ててあった服の上に乗ってとぐろを巻いて、「服を返してほしければ結婚してくれ」と無理難題をふっかけてきた[1]。
結婚を承諾したくないエグレの父親は、蛇王の迎えの馬車に子豚やガチョウを乗せて返そうとするなどとして、娘をなんとしても嫁がせないようにした。しかしついにエグレは蛇王に迎えられ、結婚して女王となり、海底宮殿で豊かな暮らしをおくることになった[1]。
宮殿でエグレは幸せにすごし、蛇王との間に3人の息子と1人の娘も儲けた。しかし海底宮殿での暮らしが長くなると地上が懐かしくなり、子どもたちを連れて里帰りさせて欲しいと蛇王に頼み込んだ。蛇王は迎えに行くときのために、自分を呼び出す呪文を教え、一時的に地上に戻ることを許可した[1]。
地上に戻ったエグレと孫たちを見た親たちは、もう海底宮殿には帰らせたくないと思うようになった。そして蛇王を呼ぶ呪文を巧みに聞きだすと、ひそかに海岸に蛇王を呼び出し、その場で殺してしまった。それを知らないエグレが海底宮殿に帰ろうとして呪文を唱えると、姿形もない真っ赤な血潮のみが噴出した。エグレが驚き悲しみその場で泣き崩れ[1]ると、3人の息子はそれぞれナラ、トネリコ、白樺に変化し、娘はヤマナラシに変化してしまった。最後にエグレ自身もトウヒの木に変化した[注 2]。[注 3]。
補説
[編集]この伝承は1880年にJ. Jasialaitisによって記録されたが、口述者は不明とされている。リトアニアの特に東部と南部に同様の民話が多数伝えられ、八十余りが記録されている。国民の多くに親しまれ、文学や音楽の素材として繰り返し取り上げられてきた[2]。アールネ・トンプソンのタイプ・インデックスは425Mである[3]。
この伝承は、リトアニアの詩人サロメーヤ・ネリスが1940年に「Eglė žalčių karalienė」として発表したものが有名である[注 4](最初に著作物として発表したのはM. Jasewiczで、1837年である)。またバレエではエドゥアルダス・バルスィース (Eduardas Balsys)[注 5]が1960年に「Eglė žalčių karalienė」として発表している。いずれも題名は「蛇の女王エグレ」である。
伝承の中に出てくる主人公「エグレ」 (Eglė) とは、リトアニアでは女性の名として一般に用いられるほか、「トウヒ」 (eglė) を表す一般名詞としても用いられる。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 『世界動物神話』でのタイトルは蛇女王エグレ、『世界の民話 33 リトアニア』でのタイトルは『蛇の女王アーグレ』。
- ^ 『世界動物神話』138-139頁に紹介されたヴァリアントでは、エグレはポプラの木に変化する。子供達が変化する木は種類は特定されないが、海風に吹かれては泣き声のような葉擦れの音を立てるとされている。
- ^ 「蛇の女王アーグレ」(『世界の民話 33 リトアニア』137-144頁)に紹介されたヴァリアントでは、アーグレ(エグレ)の家族は彼女を迎えに来た多数の蛇に恐れをなして何もできないまま、アーグレを蛇の王の元へ送り出す(138頁)。蛇の王は帰郷を申し出たアーグレに対して実現困難な3つの仕事を与え、その完成を帰郷の条件としたが、アーグレは占い師の老女の助けを得て仕事を完成させて帰郷することができた(138-141頁)。アーグレが蛇の王の元へ戻るために呪文を唱えると、彼が生きていれば海面に牛乳の泡が湧き上がるはずだったが血の泡が湧き上がった。その泡から蛇の王の声が聞こえ、アーグレは事態を悟った。呪文を家族に話してしまった娘はわずかな風でも枝葉を震わせるポプラの木に変え、他の子供達は頑丈なかしわ、とねりこ、白樺に変え、自身はもみの木に変化した(144頁)。
- ^ 1904年生まれのサロメヤ・ ネリスは1945年に若くしてガンで死んでいる[4]。よって「蛇の女王エグレ」はサロメヤ・ ネリス晩年の作品となる。
- ^ エドゥアルダス・バルスィースの生年は1919年、没年は1984年。
出典
[編集]参考文献
[編集]- 小沢俊夫編 編『世界の民話 33 リトアニア』虎頭恵美子訳、ぎょうせい、1986年2月。ISBN 4-324-00062-X。
- 篠田知和基『世界動物神話』八坂書房、2008年9月25日。ISBN 978-4-89694-918-6。