蛯原八郎
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蛯原 八郎 | |
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誕生 |
1907年1月13日 日本・茨城県北相馬郡 |
死没 |
1946年5月30日(39歳没) 中華民国・満州 |
職業 | ジャーナリスト、著作家 |
国籍 | 日本 |
最終学歴 | 麹町小学校 |
主題 | 新聞・雑誌研究 |
代表作 | 『明治文学雑記』(昭和10年) |
ウィキポータル 文学 |
蛯原 八郎(えびはら はちろう、1907年(明治40年)1月13日 - 1946年(昭和21年)5月30日)は、日本のジャーナリスト、著作家、新聞・雑誌研究家。明治期・大正期に活躍したジャーナリスト宮武外骨の助手を長く務め、東京帝国大学法学部附属明治新聞雑誌文庫で新聞・雑誌を博捜し、文学研究における資料批判の重要性を訴えた。
経歴
[編集]1907年(明治40年)茨城県生まれ。後に東京府に転居し、麹町小学校を卒業し丸善に入社。業務の傍ら、同社の商業夜学会で学ぶ。1923年(大正12年)に丸善を退社し、1924年(大正13年)にジャーナリスト宮武外骨の助手となった。1927年(昭和2年)に博報堂の創業者・瀬木博尚の資金援助を受け、宮武外骨が東京帝国大学法学部附属明治新聞雑誌文庫(現・近代日本法政史料センター)を創設した。以降、9年間にわたり明治新聞雑誌文庫に在籍し、外骨と共にその充実に貢献。「明治文化全集」の編集などに尽力した。退職後は、時事新報特派員として欧米諸国を歴訪し、取材活動に従事。その後、満州に渡り同地で死去した。
主な刊行物
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[編集]単著
[編集]- 『明治文学雑記』学而書院 1935
- 『海外邦字新聞雑誌史』学而書院 1936
- 『日本欧字新聞雑誌史』名著普及会 1980
- 『日本に於ける外字の新聞雑誌』半狂堂 1874
共著
[編集]- 『浪漫古典 第3輯 (エミイル・ゾラ研究)』昭和書房 編 昭和書房 1934
- 『明治文化研究論叢』明治文化研究会 編 一元社 1934
- 『日本文学講座 第15-17巻』改造社 1935