蟹ヶ谷古墳群
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蟹ヶ谷古墳群 | |
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概観 (3号墳(右)・1号墳(中央奥)・2号墳(左奥)) | |
別名 | 蟹ヶ谷伊勢台古墳群 |
所在地 | 神奈川県川崎市高津区蟹ヶ谷 |
位置 | 北緯35度33分58.3秒 東経139度38分06.2秒 / 北緯35.566194度 東経139.635056度座標: 北緯35度33分58.3秒 東経139度38分06.2秒 / 北緯35.566194度 東経139.635056度 |
形状 | 前方後円墳1基、円墳3基以上 |
規模 | 全長30メートル(1号墳) |
出土品 | 埴輪 |
築造時期 | 6世紀~7世紀 |
被葬者 | 不明 |
史跡 | なし |
特記事項 | 川崎市内で唯一前方後円墳が現存 |
地図 |
蟹ヶ谷古墳群(かにがやこふんぐん)は、神奈川県川崎市高津区蟹ヶ谷にある古墳時代後期(6世紀~7世紀)の古墳群。市内で唯一前方後円墳が現存する古墳群とされる。
概要
[編集]矢上川右岸、東急東横線元住吉駅から西に1.5キロメートルほど離れた神奈川県立中原養護学校北側の「神庭特別緑地保全地区」と呼ばれる高台の縁に所在する。
高台上部に3基の古墳が並んでいるが、矢上川に下る斜面にも古墳と見られる高まりが複数あり、5基以上存在すると考えられている[1]。また斜面には横穴墓(蟹ヶ谷横穴墓群)も存在する[2]。
既知の3基は円墳と考えられていたが(書籍によっては伝承に云われる「井田城」の土塁や櫓台ではないかとするものもある[3][4])、内1基が前方後円墳である可能性が出てきたため、古墳群の実態解明を目的に川崎市と専修大学・日本大学が協力し、2012年度(平成24年度)~2016年度(平成28年度)にかけて墳丘測量と発掘調査を行った[5][6]。その結果、中央の1号墳は全長30メートル以上の前方後円墳で、周溝と見られる溝や埴輪片が出土し、6世紀後半~末の築造と判明した[7]。埋葬遺構は破壊されていたが、石棺の石材破片が発見された[8]。
2号墳・3号墳では埴輪が発見されず、1号墳に後続する6世紀末~7世紀初頭の円墳と判断された[9]。
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1号墳
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2号墳
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3号墳
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1・2号横穴墓
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3号横穴墓
脚注
[編集]- ^ 土生田純之 2016, p. 5-6.
- ^ 高久健二 2017, p. 3.
- ^ 大類 1967 pp.80
- ^ 児玉・坪井 1980
- ^ 土生田純之 2016.
- ^ 高久健二 2017.
- ^ 高久健二 2017, p. 5.
- ^ 土生田純之 2016, p. 3.
- ^ 高久健二 2017, p. 6.
参考文献
[編集]- 大類伸 監修 1967 『日本城郭全集』第4集 人物往来社
- 児玉幸多・坪井清足 監修 1980 『日本城郭大系第6巻 千葉・神奈川』新人物往来社
- 土生田純之「川崎市蟹ヶ谷古墳群の発掘調査」『人文科学年報』第46巻、専修大学人文科学研究所、2016年3月、1-20頁、CRID 1390009224825991808、doi:10.34360/00007513、ISSN 0387-8708。
- 高久健二「川崎市蟹ヶ谷古墳群の発掘調査と神庭遺跡」『人文科学年報』第47巻、専修大学人文科学研究所、2017年3月、1-20頁、CRID 1390009224825994624、doi:10.34360/00007528、ISSN 0387-8708。