行田馬車鉄道
表示
行田馬車鉄道 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
吹上村にて(大正初期) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
路線総延長 | 5.3 km | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
軌間 | ? mm | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
停車場・施設・接続路線(廃止当時) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
行田馬車鉄道(ぎょうだばしゃてつどう)は、かつて埼玉県北足立郡吹上村(現在の鴻巣市)の国鉄高崎線吹上駅前から、現在の行田市中心部までを結んでいた馬車鉄道線である。
歴史
[編集]1901年(明治34年)6月に日本鉄道吹上停車場から行田を経て長野村に至る馬車鉄道が開業した。創業時は忍馬車鉄道[1]。発起人は忍町(行田市)の橋本甚五郎ら15名で北埼玉郡忍町行田(行田市)の青縞卸商や足袋製造業者が中心となって設立した。
1905年(明治38年)5月、忍馬車鉄道の経営陣は新たに行田馬車鉄道を設立し前会社の事業を引き継いで経営したが、1922年(大正11年)に北武鉄道(後の秩父鉄道秩父本線)の開通によって会社に大きな影響を受けた。「大正11年度下半期第36期営業報告書」によると客車収入5,860円に対して自動車収入が11,839円と大きく上回り、1922年(大正11年)12月には行田 - 鴻巣間に乗合自動車の営業を開始し[2]、1923年(大正12年)馬車鉄道を廃止して乗合自動車専業となり社名を行田自動車と改めた[3]。行田自動車は1943年、東武鉄道傘下の東武自動車に合併されている。
年表
[編集]- 1899年(明治32年)4月26日 忍馬車鉄道が馬車鉄道の営業の特許を交付[4]
- 1900年(明治33年)12月27日[5] 鎌形 - 佐間間を開業
- 1900年(明治33年)12月30日[6] 鎌塚 - 行田間を開業
- 1901年(明治34年)
- 1904年(明治37年)8月15日[6] 吹上村 - 吹上駅間を開業
- 1905年(明治38年)5月[5] 忍馬車鉄道の事業を引き継ぎ、行田馬車鉄道が設立
- 1923年(大正12年)4月29日[5][7][4] 吹上 - 行田間全線を廃止
路線データ
[編集]運行概要
[編集]- 1日12往復程度
駅一覧
[編集]廃止当時。
- 吹上駅 - (途中駅不明) - 行田駅
接続路線
[編集]- 吹上駅:鉄道省高崎線
輸送・収支実績
[編集]年度 | 輸送人員(人) | 貨物量(トン) | 営業収入(円) | 営業費(円) | 営業益金(円) | その他益金(円) | その他損金(円) | 支払利子(円) | 客車 | 貨車 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1908 | 83,919 | 579 | 6,843 | 6,142 | 701 | 13 | 5 | 2 | ||
1909 | 78,959 | 374 | 6,643 | 6,042 | 601 | 3,055 | 2,942 | 5 | 2 | |
1910 | 70,887 | 498 | 9,390 | 9,091 | 299 | 利子36 | 7 | 5 | 2 | |
1911 | 72,524 | 500 | 10,921 | 9,428 | 1,493 | 利子65 | 7 | 5 | 2 | |
1912 | 74,376 | 580 | 12,560 | 10,447 | 2,113 | 利子59 | 5 | 2 | ||
1913 | 79,568 | 674 | 8,189 | 7,219 | 970 | 副業5,749利子56 | 副業4,707 | 5 | 2 | |
1914 | 79,849 | 323 | 8,093 | 7,541 | 552 | 運送及倉庫5,357利子84 | 運送及倉庫4,795 | 5 | 2 | |
1915 | 76,480 | 237 | 7,750 | 7,455 | 295 | 運送業5,025利子78 | 運送業4,644 | 5 | 2 | |
1916 | 86,173 | 367 | 8,954 | 8,235 | 719 | 副業5,966 | 副業4,716 | 5 | 2 | |
1917 | 92,148 | 365 | 10,216 | 10,174 | 42 | 副業6,862 | 副業5,828 | 5 | 2 | |
1918 | 98,348 | 114 | 12,613 | 12,335 | 278 | 副業16,744 | 副業14,159 | 5 | 2 | |
1919 | 112,811 | 119 | 17,980 | 16,526 | 1,454 | 副業17,081 | 副業15,999 | 5 | 2 | |
1920 | 88,473 | 28 | 17,707 | 21,713 | ▲ 4,006 | 副業21,108 | 副業17,652 | 5 | 2 | |
1921 | 72,694 | 15,273 | 16,532 | ▲ 1,259 | 5 | 2 | ||||
1922 | 65,274 | 13,932 | 17,259 | ▲ 3,327 | 5 | 2 |
- 鉄道院年報、鉄道院鉄道統計資料、鉄道省鉄道統計資料、鉄道統計資料、鉄道統計各年度版
車両
[編集]客車の車体は木製で幅5尺、長さ8尺、高さ7尺1寸。塗装は樺色および白。定員は18人。貨車もあった。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『行田市史』 下、1964年、915-916頁。
- 和久田康雄『私鉄史ハンドブック』電気車研究会、1993年、60頁。
- 『私鉄史ハンドブック』(PDF) 正誤表(再改訂版)、2009年3月 。
- 内務省土木局『土木局統計年報第21回』(大正2年6月編纂)、1913年 。(国立国会図書館デジタルコレクション)
- 今尾恵介(監修)『日本鉄道旅行地図帳 - 全線・全駅・全廃線』 3 関東1、新潮社、2008年。ISBN 978-4-10-790021-0。