衝繁疲難
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「衝・繁・疲・難」は中国の清とベトナムの阮朝に存在した地方行政単位の等級制度で地方官の任命のために定められた。府・州・庁・県をそれぞれの現地の事情を考慮して評価したものである。文字数が多ければ多いほど、その長も重要な職となる。四字すべてを持つ物を「最要缺」とし、三字(衝繁難、衝疲難、繁疲難)を「要缺」とする,二字(衝繁、繁難、繁疲、疲難、衝難、衝疲)は「中缺」、一字又は無字は「簡缺」とした。
由来
[編集]清の順治年間(1644年 - 1661年)は明代の制度にならい、州や県を重要性によって等級に分け、官吏を選んで空席を埋める際、官吏の身だしなみ、言葉遣い、書道、判断力によって職位を割り当てた。当時の吏部は、人選をくじ引きで決めていたが、政務が煩雑な州府は、能力者を補充することができず、批判されることが多かった[1]。
雍正六年(1728年)、廣西布政使[2]金鉷は州県を衝・繁・疲・難の四項目で区分したうえで、現地の総督・巡撫が、官吏の才幹を考慮して選任を申請する方式の創設を上奏し、受け入れられた[3]。この四項目の意味は次のようなものである:
- 衝: 交通の要衝にある州県
- 繁: 政務が多くて繁雑である州県
- 疲: 税賦の滞納が多い州県
- 難: 住民の性質が反抗的な州県
「衝、繁、疲、難」のうち、四項のすべてに該当すると最要缺、三項で要缺、二項を中缺とし、残りを簡缺とした。
(例)
[編集]最要
[編集]要
[編集]中
[編集]簡
[編集]注釈
[編集]- ^ 当時の「くじ引き」の実態とは、《その弊害は本人若しくは吏部の堂官が代理して抽籤を行うことに發端した。康熙年間には吏部官僚に贈賄して自己の望む缺を抽籤させる「坐籤の弊」が顕著となった》というようなものであった。和田, 正廣「明代の地方官ポストにおける身分制序列に關する一考察 : 縣缼の淸代との比較と通じて」『東洋史研究』第44巻第1号、1985年、93-94頁、doi:10.14989/154103。
- ^ 廣西等處承宣布政使司(現在の広西チワン族自治区)の長。
- ^ 《清史稿·卷二百九十二·金鉷傳》:雍正五年,擢廣西按察使,尋遷布政使。六年,就擢巡撫。……及為廣西布政使,奏請州縣分衝、繁、疲、難四項,許督撫量才奏補,上嘉納之。