裏白峠
表示
裏白峠 | |
---|---|
所在地 | 滋賀県甲賀市、京都府宇治田原町 |
座標 | 北緯34度51分21秒 東経135度56分45秒 / 北緯34.85583度 東経135.94583度座標: 北緯34度51分21秒 東経135度56分45秒 / 北緯34.85583度 東経135.94583度 |
標高 | 380 m |
山系 | 笠置山地 |
通過路 | 国道307号 |
プロジェクト 地形 |
裏白峠(うらじろとうげ)は、滋賀県甲賀市と京都府宇治田原町の間にある峠。標高380m[1]。
概要
[編集]国道307号の旧道であり、急勾配・ 急カーブが連続する交通の難所のため早期の改良が望まれていたが、茶屋トンネル(L=390m)を含む約2kmバイパス道路の開通により、交通ネック区間が解消された。 峠名の由来は、近江は山城から見て裏側にあり、山城の裏だから「裏白」と呼ばれたといわれている[1]。山城側からは「山城名勝志」によると越田越と呼称している[2]。
京都に遷都されてから、伊勢への参詣路となり[2]、近代には茶の流通路として使われた[2]。
徳川家康が伊賀越えをする際に、奥山田から裏白峠を通って朝宮・小川を経由して伊賀へ向かったとされる[3]。
正保国絵図の作成時や延宝検地の際、近江と山城両国で国境を争った結果、裏白峠を境としており、1678年(延宝6年)に幕府の裁許を受けている[4]。
沿革
[編集]- 1954年(昭和29年)1月20日 - 裏白峠の区間が主要地方道枚方水口線に指定される[5]。
- 1970年(昭和45年)4月1日 - 枚方水口線を国道307号に指定。
- 2000年(平成12年)12月20日 - 裏白バイパスの部分供用開始により、旧道となる[6]。
出典
[編集]- ^ a b 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 (1979年4月8日). 角川日本地名大辞典 25滋賀県. 角川書店. p. 141
- ^ a b c 木村至宏 (2007年11月25日). 近江の峠道ーその歴史と文化ー. サンライズ出版. pp. 50-52
- ^ “家康伊賀越えの道”. 宇治田原町. 2019年11月26日閲覧。
- ^ 甲賀市史 第8巻 甲賀市事典. 甲賀市. (2016年12月12日). p. 241
- ^ 昭和29年9月6日滋賀県告示第270号
- ^ 全日本建設技術協会滋賀県支部・滋賀県建設技術協会・滋賀県特別会員支会 (2013-03) (PDF). 滋賀県土木百年表続編(昭和47年度~平成24年度). 滋賀県建設技術センター. p. 71