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裴 迪(はい てき、生没年不詳)は、五代後梁の武将。本貫は河東郡聞喜県。
財務に精通しており、簿書を能くしたため、唐末に裴璩の属官となり、汴宋蘄等州供軍院使・租庸招納使を務めた。
後梁の太祖朱全忠が宣武軍(開封府)に鎮すると、招かれて節度判官となった。裴迪は兵賦徴調を管掌し、朱全忠自身は兵を統括するのみで、財政や獄訴は全て裴迪が管轄した。
朱全忠が西の方の岐を征討した際、その隙に王師範が都の開封を襲おうとしたが、その密謀を事前に暴き、その功によって、右僕射・司空に任ぜられた。官を辞して後、没した。