西原一甫
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西原 一甫(にしはら いっぽ、宝暦10年(1760年) - 天保15年5月16日(1844年7月1日))は江戸時代の筑後国柳河藩士。耽奇会及び兎園会参加者の一人で、「図説立花家記」では耽奇会主催者としている。通称は半三郎、六弥太、新右衛門。諱は公和、公助(きみすけ)。号は一甫、南野、一輔、梭江(さこう)で、西原一甫で著名。家号は松羅館。父は西原種正、母は白井久慶の娘。
経歴
[編集]幼少より江戸で生活し、定府藩士として留守居や小姓頭格用人などを勤める。文政7年(1824年)5月から耽奇会に参加、兎園会にも参加していたものの文政8年(1825年)4月に藩命により江戸から柳川に下向したので、結局両会に最後まで参加できなかった。
天保年間は柳河藩領南野(現在の柳川市大和町)に隠棲。「天保十三壬寅十一月改侍帳寺社」(1842年頃の史料)に『同(隠居料十人扶持)小姓頭格 西原一甫』とある。
著作
[編集]著作に「耽奇漫談」(滝沢馬琴著の瀧沢本に対して西原本という。)、「柳川明証図会」がある。