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西尾市立佐久島小学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
西尾市立佐久島小学校
地図北緯34度43分39.9秒 東経137度02分34.3秒 / 北緯34.727750度 東経137.042861度 / 34.727750; 137.042861座標: 北緯34度43分39.9秒 東経137度02分34.3秒 / 北緯34.727750度 東経137.042861度 / 34.727750; 137.042861
過去の名称 佐久学校、佐久島学校、佐久島尋常高等小学校、佐久島国民学校、佐久島村立佐久島小学校、一色町立佐久島小学校
国公私立の別 公立学校
設置者 西尾市
設立年月日 1873年2月
閉校年月日 2019年4月
共学・別学 男女共学
学期 3学期制
所在地 444-0416
愛知県西尾市一色町佐久島影無50番地
外部リンク 公式ウェブサイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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西尾市立佐久島小学校(にしおしりつ さくしましょうがっこう)は、かつて愛知県西尾市一色町佐久島影無50番地にあった市立小学校。2019年(平成31年)4月に西尾市立佐久島中学校と統合され、義務教育学校西尾市立佐久島しおさい学校が発足した。

三河湾に浮かぶ佐久島唯一の小学校だった。全国へき地教育研究連盟によってへき地学校2級に指定されていた[1]。愛知県でもっともへき地等級が重い2級の小学校は佐久島小学校を含めて5校しか存在しない。

特色

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戦後の1947年(昭和22年)7月17日には、進駐軍愛知軍政部教育課長のパーカー大尉が佐久島村の教育を視察している[2]

戦後すぐの1946年(昭和21年)の児童数は362人を数えたが、その後は減少している[3]。1950年(昭和25年)には266人、1960年(昭和35年)には187人、1970年(昭和45年)には73人、1980年(昭和55年)には32人、1990年(平成2年)にも32人、2000年(平成12年)には12人、2010年(平成22年)には20人、2015年(平成27年)には10人となっている[3]。1966年度(昭和41年度)には新1年生が少なかったことから、初めて複式学級が編成された[4]

最盛期に約1500人だった佐久島の人口は2018年時点で239人に減っているが、児童数の減少率はそれ以上に著しい。2003年度(平成15年度)からは小規模特認校制度を適用して、島外(一色町本土)からの通学を認める「しおかぜ通学」が開始された[5]。2011年(平成23年)4月1日 に一色町が西尾市に編入合併したことで、「しおかぜ通学」の対象者が西尾市全域に拡大された[6]。2012年度(平成24年度)には西尾市本土から西尾市営渡船を利用して4人が、2018年度(平成30年度)には6人が佐久島小学校に通学している。

2004年(平成16年)3月27日には校内に「スポーツクラブさく」が完成し、元プロ野球選手の小松辰雄の講演会が行われた[3]。2004年11月29日には海上自衛隊掃海艇である「さくしま」が寄港し、児童と隊員の交流会や艦内見学会が行われた[3]

歴史

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年表

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  • 1873年(明治6年)2月 - 廃寺を用いて佐久学校として創立。[7]
  • 1887年(明治20年) - 佐久島尋常小学校に改称。[7]
  • 1888年(明治21年)6月21日 - 影無に校舎を新築。
  • 1899年(明治32年)11月20日 - 佐久島尋常高等小学校に改称。[7]
  • 1941年(昭和16年)4月1日 - 幡豆郡佐久島国民学校に改称。[7]
  • 1947年(昭和22年)4月1日 - 佐久島村立佐久島小学校に改称。[7]
  • 1948年(昭和23年)9月23日 - 新校舎が竣工。[2]
  • 1954年(昭和29年)4月1日 - 佐久島村一色町への編入合併により一色町立佐久島小学校に改称。[7]
  • 1959年(昭和34年)9月26日 - 伊勢湾台風では校舎附属施設に大きな被害が出る。[2]
  • 1962年(昭和37年) - 職員住宅が竣工。[2]
  • 1981年(昭和56年)3月28日 - 新校舎が竣工。[8]
  • 1987年(昭和62年)1月 - 体育館が竣工。[8]
  • 2003年(平成15年)4月7日 - 小規模特認校制度を適用して島外からの通学を認める「しおかぜ通学」が開始。
  • 2011年(平成23年)4月1日 - 一色町の西尾市への編入合併により西尾市立佐久島小学校に改称。
  • 2019年 (平成31年) 4月 - 佐久島中学校と統合し、義務教育学校西尾市立佐久島しおさい学校が発足。

児童数の変遷

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『愛知県小中学校誌』(2018年)によると、児童数の変遷は以下の通りである[5]

1947年(昭和22年) 300人
1957年(昭和32年) 222人
1967年(昭和42年) 84人
1977年(昭和52年) 57人
1987年(昭和62年) 38人
1997年(平成9年) 16人
2007年(平成19年) 13人
2017年(平成29年) 15人

脚注

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  1. ^ 愛知県 全国へき地教育研究連盟
  2. ^ a b c d 『幡豆郡の教育四十年のあゆみ』41ページ
  3. ^ a b c d 学校の概要 佐久島小学校
  4. ^ 『幡豆郡の教育四十年のあゆみ』42ページ
  5. ^ a b 『六三制教育七十周年記念 愛知県小中学校誌』618ページ
  6. ^ 『六三制教育七十周年記念 愛知県小中学校誌』623ページ
  7. ^ a b c d e f 『幡豆郡の教育四十年のあゆみ』40ページ
  8. ^ a b 『幡豆郡の教育四十年のあゆみ』43ページ

参考文献

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  • 『六三制教育七十周年記念 愛知県小中学校誌』愛知県小中学校長会、2018年
  • 「幡豆郡の教育四十年のあゆみ」編集委員会『幡豆郡の教育四十年のあゆみ』幡豆郡小・中学校校長会、幡豆郡教育研究会、1987年

関連項目

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外部リンク

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