西山左内
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西山 左内(にしやま さない、1882年(明治15年)3月 - 没年不詳)は、大蔵官僚、関東庁官僚。
経歴
[編集]群馬県人狩野清八の四男として生まれ、宮城県人西山省吾の養子となった[1]。1910年(明治43年)、東京帝国大学法科大学政治学科を卒業[1]。大蔵省勤務、司税官、税関事務官、横浜税関総務課長、門司税関長を務めた[1][2]。1921年(大正10年)、関東庁事務官に転じ、同財務局長を務めた[1]。
退官後の1933年(昭和8年)、満洲電信電話株式会社監事に選ばれ、1936年(昭和11年)まで在任した[1]。その後は中野商店株式会社取締役、長崎鉱業株式会社取締役を務めた[1]。
脚注
[編集]- ^ a b c d e f 人事興信録 1941.
- ^ 輓近大日本拓殖史 1934, p. 522.
参考文献
[編集]- 『輓近大日本拓殖史』日本行政学会、1934年。
- 人事興信所編『人事興信録 第13版(下)』人事興信所、1941年。