西押立村
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にしおしたてむら 西押立村 | |
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廃止日 | 1954年11月3日 |
廃止理由 |
新設合併 東押立村、西押立村、豊椋村 → 湖東町 |
現在の自治体 | 東近江市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 近畿地方 |
都道府県 | 滋賀県 |
郡 | 愛知郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
総人口 |
1,967人 (国勢調査、1950年) |
隣接自治体 | 東押立村、豊椋村、豊国村、八木荘村 |
西押立村役場 | |
所在地 | 滋賀県愛知郡西押立村 |
座標 | 北緯35度07分57秒 東経136度14分39秒 / 北緯35.13253度 東経136.24419度座標: 北緯35度07分57秒 東経136度14分39秒 / 北緯35.13253度 東経136.24419度 |
ウィキプロジェクト |
西押立村(にしおしたてむら)は、滋賀県愛知郡にあった村。現在の東近江市の北東部、愛荘町役場の南東、湖東歴史民俗資料館の周辺にあたる。
地理
[編集]- 河川:五の谷川、淵川
歴史
[編集]- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、下一色村・勝堂村・西菩提寺村・北菩提寺村・南菩提寺村・横溝村の区域をもって発足。
- 1954年(昭和29年)11月3日 - 東押立村・豊椋村と合併して湖東町が発足。同日西押立村廃止。
逸話
[編集]日露戦争時、隣村の僧・皇順諒(皇至道の父)の講和に感化された西押立村横溝の女性たち45人が出征兵士の冥福を祈るため黒髪を根本から切り、奉書に包んで地元の新善光寺堂に納め、その髪を使って草鞋を20数足作り戦地に送った[1]。
参考文献
[編集]- 角川日本地名大辞典 25 滋賀県