西方城 (阿波国)
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西方城 (徳島県) | |
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別名 | 西潟塁、西潟城 |
城郭構造 | 山城 |
築城主 | 東条紀伊守 |
築城年 | 永禄年間? |
主な城主 | 東条氏 |
廃城年 | 不明 |
指定文化財 | 未指定 |
位置 | 北緯33度55分28.9秒 東経134度36分56.9秒 / 北緯33.924694度 東経134.615806度座標: 北緯33度55分28.9秒 東経134度36分56.9秒 / 北緯33.924694度 東経134.615806度 |
地図 |
西方城(にしがたじょう)は、徳島県阿南市長生町にあった日本の城。
歴史
[編集]築城年代は不明であるが永禄年間(1558年~1570年)に東条紀伊守によって築城されたと云われる。東条紀伊守は桑野城城主東条関之兵衛の伯父である。
天正年間(1573年~1592年)に東条氏が長宗我部氏に降ってから、三好氏に属する牛岐城城主新開道善に対峙するため、東条関之兵衛が西方城の城主になったと考えられる。新開道善が長宗我部に降るまで前進基地として使用された。
天正10年(1582年)に阿波平定以後、東条関之兵衛は木津城城主となった。
天正13年(1585年)、豊臣秀吉の四国攻めの際に戦わずに関之兵衛は土佐へ逃亡。その後、阿波公方家の隠居所としても使用されていた。
なお、関之兵衛とその弟・東条唯右衛門は元親によって処刑された。
参考文献
[編集]- 『角川日本地名大辞典 36 徳島県』(1986年 ISBN 4040013603)