西本健次郎
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西本 健次郎(にしもと けんじろう、1866年9月26日(慶応2年8月18日[1])- 1950年(昭和25年)6月[2][3][注 1])は、明治から昭和前期の実業家、政治家。貴族院多額納税者議員。旧姓・松永。
経歴
[編集]尾張国海西郡松島中島村(岐阜県海西郡松島中島村[1][4]、海津郡東江村、海津町を経て現海津市)で、尾張藩士、普請奉行・松永林三郎の息子として生まれる[4][5]。廃藩置県後に一家離散し、1877年(明治10年)名古屋の呉服商に奉公したが、将来は家業であった土木業での成功を願っていた[4]。
1885年(明治18年)和歌山県和歌山区(現和歌山市)の土木建築業・西本用助の元で働き、見込まれて1893年(明治26年)9月15日、西本家の入夫となり家督を相続した[1][4][5]。和歌山織布会社の建築工事が不首尾となり、再起をかけて九州の間組の下請工事を担当した[4][5]。経営した西本組(現三井住友建設)は、その後、事業が拡大し全国主要都市、京城、満州などに支店を設け[1]、鉄道工事では鹿島組、西松組と共に日本三大請負業者と称された[2][4][5]。また、和歌山市商業会議所議員、同商工会議所顧問、同信用組合長、湯崎土地重役、和歌山銀行重役、南海信託重役などを務めた[3]。
1925年(大正14年)貴族院議員に互選され、同年9月29日[6]から1939年(昭和14年)9月28日まで2期在任した[2][3]。
第二次世界大戦中は朝鮮、中国、フィリピン、タイ王国に営業所を設置し、道路、鉄道、飛行場などの建設に当たった[5]。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 『紀の国百年人物誌』151頁、『郷土歴史人物事典 和歌山』104頁では昭和23年。
出典
[編集]参考文献
[編集]- 『和歌山県紳士名鑑 上巻』和歌山市海草郡紳士名鑑編纂所、1925年。
- 阪上義和『紀の国百年人物誌』紀の国文化社、1967年。
- 阪上義和『郷土歴史人物事典 和歌山』第一法規出版、1979年。
- 和歌山県史編さん委員会編『和歌山県史 人物』和歌山県、1989年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。