西村源二郎
西村 源二郎(にしむら げんじろう、1900年5月25日 - 1983年4月23日)は日本の実業家。シーリージャパンの創業者。諱は光源(こうげん)。
経歴
[編集]1900年(明治33年)北海道樺戸郡新十津川町にて、西村源蔵の2男4女の次男として生まれる[1]。 九歳の時、両親を失い、函館市在住の叔父、河村織右エ門(八代目)に預けられる。少年時代は河村家の四人の子供と一緒に養育された。長じて、九代目河村織右エ門を支えて、(資)河村ふとん(後のコドモわた(株))の総支配人を務め、道内最大手の寝具メーカーの地位を築いた。
早稲田大学専門部政経科卒。1936年(昭和11年)(資)河村ふとんから独立、ミシン業に転進、函館市五稜郭町にて日本ミシン(株)を設立。ブラザーミシンの安井正義社長の信頼を得て、北海道地区の販売権を獲得。
終戦後、(株)ファインホームを設立して、家電製品、寝具・ベッドなどの販売も開始。予約積立販売(前払式割賦販売)を駆使して更に急成長、全国に100を超える営業所、3,000人を超える社員を擁する企業に成長。 その間、建築会社、不動産開発会社、海外貿易商社、金融会社なども設立して一大コンツェルンを形成。1963年(昭和38年)八天工業(株)を設立して、青年時代に培った寝具・ベッドの製造に再度進出。すずらんブランドでベッド製造販売を開始。 1985年、世界最大のベッドメーカー、シーリー社のライセンス生産開始。後のシーリージャパンの基礎を築いた。
家族
[編集]三男西村康之は(株)スリープセレクト会長。
その他
[編集]人間関係学を目指して「太洋学会」を創設し、「太洋指針」を行動指針として、社員教育に力を注いだ。
また、全社員株主の「新生資本主義」を標榜してストックオプションを拡充して資本充実を図り、全国に支店網を拡大、成長を続けた。