西村規矩
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西村 規矩(にしむら きく、1858年3月31日(安政5年2月17日[1])- 1903年(明治36年)3月30日[2][3][4])は、明治期の農業経営者、実業家、政治家。衆議院議員。旧姓・牟田。
経歴
[編集]肥前国彼杵郡矢上村(長崎県[2]東彼杵郡矢上村[4]、東長崎町を経て現長崎市)で牟田逸馬の二男として生まれる[1]。1877年(明治10年)西村或之助の養子となる[1]。漢籍を修めた[1]。1877年(明治10年)長崎英語学校普通科を卒業[1][2]。その後上京して、津田仙の学農社で学び、1880年(明治13年)に卒業した[1][2][4]。1886年(明治19年)1月、家督を相続[1]。農業、酒造業を営む[2][3]。西村製糸場を経営し[2][4]、諫早銀行頭取、矢上教育銀行監査役、大成社取締役なども務めた[2][3][4]。
長崎県会議員に選出され4期在任[1]。1902年(明治35年)8月、第7回衆議院議員総選挙(長崎県郡部、憲政本党)で初当選し[5]、1903年(明治36年)3月の第8回総選挙(長崎県郡部、憲政本党)でも再選されたが[5]、同月30日に死去した[6]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 人事興信所編『人事興信録 初版』人事興信所、1903年。
- 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 自第7回至第13回』衆議院事務局、1918年。
- 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年。
- 大植四郎編『明治過去帳』新訂初版、東京美術、1971年(原著私家版1935年)。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。