西松喬
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西松 喬(にしまつ たかし、1865年(慶応元年) - ?年)は、明治・大正・昭和前期の経営者、実業家。綿花を扱う西松商店の創業者。美濃国安八郡大藪町出身。実業家西松龍一の父親。
来歴・人物
[編集]18歳のときに京都に出て、慶応義塾・別科に入り、1887年、卒業する。その後洗濯業を開業するも失敗する。その後、苦しんでいるときに中上川彦次郎に出会い、中上川の紹介で第三十三銀行就職、山陽鉄道会計課に就職。1889年、24歳のとき、中上川が山陽鉄道を去るに当たり、同行し、武藤山治、和田豊治とともに三井銀行に入る。
- 1889年 三井銀行記録課長
- 1893年 同銀行東京本店貸附係
- 1894年 同銀行青森支店支配人、深川支店支配人
- 1895年 同銀行東京本店秘書記主任
- 1896年 三井工業部支配人
- 1898年 芝浦製作所支配人
- 1899年 自営業をする志を実現するために、日比谷平左衛門の日比谷商店のもとで、小僧として経験をつむことを志す。同支配人佐久間福太郎に相談するが、三井の支配人という地位のため断られる。数ヵ月後、支配人の職を辞め、小僧の風采をなし、再度佐久間のもとを訪れる。その決心の強さを見た佐久間は、西松を日比谷平左衛門に推薦し、西松は、日比谷商店横浜支店で働き始めた。
- 1900年 日比谷商店関西支店とも言うべき、神戸の北川商店が大損害を受け、その対処を担当する。
- 1901年 中上川彦次郎死去。北川商店を閉じて、西松商店を開き、綿花仲次業を始める。
- 1906年 綿花直輸入業を始める。
- 1922年中央毛糸紡績(株)取締役就任
慶応義塾草創期の功労者である[1]。
著書
[編集]『三井銀行案内』1895年。
脚注
[編集]- ^ 慶応義塾百年史
参考文献
[編集]- 『岩井百年史』- 岩井産業(株)
- 『慶應義塾百年史』 - 義塾として特にその労を感謝した人々の一人に挙げられている。
- 三田商業研究会編 編『慶應義塾出身名流列伝』実業之世界社、1909年、143-144頁 。
- 『福沢諭吉全集』- 第18巻 明治26年11月9日 西松喬宛の書簡